10月21日(日)新谷、真田、春木、森脇の4名は、入江さんの勤務先「長島愛生園」を訪問し、ハンセン病の歴史や社会的弱者への差別・偏見について学びました。
■ハンセン病について
「らい菌」の感染によって、皮膚や筋肉に張りめぐらされた抹消神経などがおかされ、目が見えなくなったり、手の指が曲がったままになったり、
顔の筋肉がぶらんと垂れさがったり、皮膚の熱い・痛いなどの神経がなくなるためやけどや傷の発見が遅れるなど、顔や手足などに目立つあと
を残すこともあって、昔は「らい病」と言われ、よくきく薬もなかったことから、恐ろしい伝染病のように思われてきました。
昭和6年に「らい予防法」という法律で強制的に療養所の中に一生閉じ込められて、きたことや療養所に収容される時に家中を消毒されたりし
たことなどで、恐ろしい病気と思わされた原因となりました。
昭和22年ころアメリカで開発された新薬を静脈注射することで、ハンセン病は治る病気となりました。
発病しても、完全に治るようになったにも関わらず、らい予防法は平成8年まで継続され、法律ができて89年後ようやく廃止されました。法律が
廃止されただけではこれまでの恐ろしい病気という間違った考え方がすぐなくなるわけではありません。この間違った考え方が回復された方や家
族の人たちを苦しめています。病気が治っても生まれ育ったふるさとへ帰ることができる人は少なく、療養所の納骨堂に眠ったままです。
長島愛生園歴史館の学芸員「田村朋久」さんは「ハンセン病から回復されたみなさんに限らず、ハンディキャップを持った人に対して思いやりの
ない仕打ちや差別を加えてはならない。」と言われました。
病気について、命について、思いやりについて考えなおすことができました。「ありがとうございました。」
■長島愛生園について
平成 5年 日本初の国立療養所として誕生 入所者約400名
昭和18年 入所者約2000名 147棟の住宅
昭和22年 ハンセン病に絶大な効果のある新薬プロミン登場
昭和63年 邑久長島大橋の完成(人間回復の橋)
平成 8年 らい予防法廃止
平成13年 らい予防法違憲国家賠償請求訴訟勝訴