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財団法人ひかり協会 設立趣意書







  昭和30年、森永ドライミルクに砒素等の有害物質が混入し、多くの乳幼児が被災した、いわゆる森永ミルク中毒事件は
 その規模が広範であったこと、被害者がいたいけな乳幼児であったことなどわが国のみではなく、世界でも類例のないい
 たましい事件でした。
  以来今日まで19年が経過し、当時乳幼児であった被害者もすでに成人に達し、あるいは成人に達しようとしております。
 しかしながら、被害者に関連する諸問題が今日もなお解決をみていないことは、誠に残念なことであります。
  すなわち、昭和30年代前半に一応の落着をみたと考えられていた本事件でありますが、その後においても被害者に何
 らかの救済を要する方々があり、これに関する運動が長い間続けられてまいりました。そして昭和44年以降において、こ
 の問題は再び大きな社会問題として人々の関心を呼ぶところとなったのであります。
  その後、当事者間においては、数多くの話し合いの機会が持たれましたが事態の解決を図るまでにはいたらずに推移し
 昭和48年には、大阪をはじめ岡山、高松において民事訴訟が提起され、この問題は法廷の場でも争われることとなりまし
 た。しかし、被害者は現在人生のうちでも最も重要な時期を迎えており、一日も早く救済の措置のとられることが何よりもま
 ず望まれることは云うまでもありません。
  このようなときに、厚生大臣より、厚生省、被害者の父母の団体である「森永ミルク中毒のこどもを守る会」及び森永乳業
 株式会社の三者による会談が提唱なされ、その第1回の会談が昭和48年10月12日にもたれました。
  この会談においては、森永ミルク中毒のこどもを守る会の提唱する「森永ミルク中毒被害者の恒久的救済に関する対策
 案」を尊重し三者それぞれの立場で被害者の救済に努力することが確認され、昭和48年12月23日の第5回三者会談に
 おいて、別紙のとおり確認書が作成されました。
  この確認書に基づいて、その後もひきつづき具体的な方策についての検討が重ねられてきたのでありますが、その結果
 幸いにも昭和49年4月17日、三者の間に公益法人の設立及び救済事業の方策について合意が成立するに至ったのであ
 ります。
  この法人は、この三者会談における検討の結果による合意を基盤とし「森永ミルク中毒被害者の恒久救済に関する対策
 案」の精神を生かし、そこに盛られた各種の事業を実施するとともに、今日及び将来にわたって全被害者の救済を図るた
 めに設立されるものであります。
  すなわち、この法人は、被害者の継続的健康管理、治療擁護、生活保障、保護育成等に関する事業を実施することによ
 って全ての被害者の救済を図り、被害者の福祉の向上を図るとともに、これに関連する調査研究を行い、ひいては、わが
 国の公衆衛生の向上及び福祉の増進に寄与することを目的とするものであります。
  以上が、この法人の設立の趣意であります。
  昭和49年4月17日
          財団法人ひかり協会設立発起人一同